第一講 論理的な文章のポイントは接続詞にあった!

  • 3分でわかる・ 学校では教えてくれない文章入門 / 古賀 史健

ガイダンスでは、文章には「論理」が必要だという話をしました。そこでこの第一講では、論理的な文章を書くにはどうしたらいいか、具体的な方法について考えてみましょう。
「ガイダンス あなたはなぜ文章を書くのか?」を読む

その文章、迷子になっていませんか?

論理的な文章。なんともイヤな言葉です。
いきなり「もっと論理的な文章を書け!」と言われたらうんざりしますよね。ぼくだってそんなこと言われたら緊張します。いかにも堅っ苦しい文章、六法全書みたいな文章(読んだことはありませんが)を書かなきゃいけないような気になります。
そこで視点を変えて、非論理的な文章について考えてみましょう。ぼくたちはどんな文章を読んだとき、非論理的だと思うのでしょうか?

「なにを言ってるのかわからない文章」
「言ってることがくるくる変わる文章」
「一方的な思い込みで進んでいく文章」

いろんな意見があると思います。ちなみに「言ってることがくるくる変わる」というのは、自己矛盾ですね。そして「勝手な決めつけで進む」というのは、客観性の欠如です。もちろんどちらも問題ですし、あとでしっかりフォローしますが、なにより困るのは「なにを言ってるのかわからない」という支離滅裂な文章でしょう。

文章を書くことは、ドライブに似ています。
なんとなくの目的地はあるけれど、どんな道順でそこにたどり着くかは、道路の状況を見ながらその場の気分で考える。遠回りすることもあるし、道に迷うことだってある。むしろ寄り道がドライブを楽しくしてくれることもあるでしょう。

そして「なにを言ってるのかわからない文章」とは、文章が迷子になった状態なのだと思ってください。自分ではちゃんと目的地に向かって進んでいるつもりなのに、いつの間にか道に迷い、途方に暮れている。いや、迷子になったことにすら気づいてないのかもしれない。

じゃあ、どうして道に迷ってしまったのか。

もしも直線の一本道だったら、迷子になんかなりません。人が迷子になるとき、そこにはかならず「曲がっちゃいけないところで曲がる」という凡ミスがあります。直進すべきところを左折する。左折すべきを右に行く。そんなミスをくり返すうちに、人は迷子になるのです。

文章もまったく同じだといえます。ぼんやりした意識でなんとなく走り、「曲がっちゃいけないところ」をあてずっぽうに曲がってしまった結果、文章は支離滅裂になる。
ぼくの見るかぎり、プロの記者やライターさんにもこの凡ミスを犯す人は大勢います。あるいはぼく自身、ときどきやっちゃっているのかもしれません。
それでは、迷子にならない文章を書くためにはどうしたらいいのでしょう? どうすれば曲がり角を間違えずにすむのでしょう?
答えはカンタンです。
接続詞を意識すればいいのです。

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もっと接続詞をチェックしよう!

一般的な文章セミナーでは「なるべく接続詞を使わずに文章を書きましょう」と指導されることが多いそうです。接続詞を多用すると読みづらいとか、接続詞が多いのは文章が未熟な証拠だとか、いろんな見解があるのでしょう。
でも、はっきり言います。
接続詞はバンバン使っていきましょう。
たとえば、以下のような文章があったとします。

企業のリストラが進み、日本の終身雇用制度は崩壊した。能力主義の浸透は、若手社員にとって大きなチャンスでもある。

言いたいことはわからないでもないけど、なにか引っかかる文章ですね。「企業のリストラが進み、日本の終身雇用制度は崩壊した」というのは、そうなのかもしれない。そして「能力主義が浸透することは、若手社員にとって大きなチャンスでもある」というのも、事実の一面ではある。なのに、こうやってふたつの文がつながると、なにか違和感を覚えてしまう。支離滅裂な印象を抱いてしまう。
その原因は、接続詞にあります。接続詞も入れることなく、とりあえず頭に浮かんだ文をつなげていった。おかげで「曲がっちゃいけないところ」で曲がる、という迷子のミスを犯したのです。
接続詞を意識するとはどういうことか、ちょっと見てみましょう。

・企業のリストラが進み、日本の終身雇用制度は崩壊した。
・能力主義の浸透は、若手社員にとって大きなチャンスでもある。

この2つの文のあいだに、あなたならどんな接続詞を入れますか?

そして? しかし? つまり? だから? ……どれもしっくりきませんよね。どんな接続詞を入れてもつながりませんよね。

ここは非常に大事なところなので、ぜひ覚えておきましょう。
文章(文の連なり)が論理性をもって展開していくとき、そこにはかならず接続詞が隠れています。省略されていることはあっても、隠れています。
そして前後の文がどんな接続詞を持ってきてもつながらないとき、その文章は「曲がっちゃいけないところ」を曲がろうとしています。つまり迷子になりかけているし、支離滅裂になりかけています。
なにかを新たに勉強する必要はありません。ことさら論理的であろうと身構える必要もありません。
むずかしいことは考えず、ただそこに接続詞が入るかどうかをチェックするだけ。この小さなワンステップで、みなさんの文章は劇的に変わるはずです。
ふたつの文のあいだに接続詞を入れてみて、感覚的に「あ、ここには入らないな」と思ったところは、文章の「曲がっちゃいけないところ」。あるいはすでに入っている接続詞をチェックしてみて、「なんか不自然だな」と思ったところが、文章の「曲がっちゃいけないところ」。
文章を書くとき(文と文をつなげるとき)には、そこにどんな接続詞が入るかをもっと意識して、文章が迷子にならないよう軌道修正していくようにしましょう。
たとえば、接続詞を意識して軌道修正をはかった場合、先の例文はこんな感じに変わってくるでしょう。

企業のリストラが進み、日本の終身雇用と年功序列制度は崩壊した。(そして)これは能力主義の導入にもつながる話だ。(もちろん)能力主義の浸透は、若手社員にとって大きなチャンスでもある。

終身雇用だけではなく、年功序列についてもきちんと触れる。そして年功序列制度の崩壊が、能力主義の導入につながることを指摘する。その上で、能力主義が若手のチャンスであることを主張する。

一応、接続詞はカッコ表記としてみました。実際の文章では、接続詞を入れても入れなくてもかまいません。文章スクールの先生方が言うように、接続詞だらけの文章が読みにくいのは事実です。そのあたりの適正量は、自分で見極めるようにしましょう。

読者を迷子にしないために

もうひとつ、読者目線で見た接続詞の役割について軽く触れておきます。
道路のたとえをなぞるなら、読者は作者の運転する車を後ろから追いかけるようにして、文章を読んでいます。そして、たとえ作者が正しい道を走っていても、ときおり読者が迷子になってしまうことがあります。なんとかがんばって追いかけていたけど、道が複雑すぎた。たくさんの角を曲がっているうちに、いつの間にか見失ってしまった。そんな状態だと思ってください。

こうしたトラブルを防ぐために必要なのが、「方向指示器」です。後ろからついてきている車(読者)に対して、「ここで右折しますよ」「ここから左折しますよ」と、あらかじめ合図を送る。いきなり曲がることをせずに、事前にお知らせする。
文章のなかにおいて、この方向指示器の役割を果たすのが、接続詞です。
たとえば、ある場所で「しかし」という接続詞を入れれば、文章がこれまでと違った方向に進むことがわかってもらえますよね? あるいは「そして」という接続詞を入れれば、そのまま真っ直ぐ進むことを理解してもらえる。接続詞には、そんな方向指示器的な役割があるわけです。

ぼくが「もっと接続詞を使おう」と訴える理由、おわかりいただけたでしょうか?
実際の話、ぼくは原稿のなかでかなりたくさんの接続詞を使います。プロのライターとしては異常なくらいに使っている自覚があります。それで「こいつの文章はまだまだ未熟だ」と思われたとしても、全然かまいません。ぼくの願いは、とにかく読者の方々を迷子にしないことなのです。

さて、本章のポイントをまとめましょう。

・支離滅裂であるとは、文章が迷子になった状態
・「曲がっちゃいけないところ」で曲がるから、道に迷う
・接続詞を確認することで、曲がり角の正しさを確認できる
・接続詞は読者への「方向指示器」にもなる

ということで今回は、接続詞というたったひとつのツールによって文章の論理破綻が防げることを確認しました。次回はここからもう一歩踏み込んで、「論理とはなにか」「論理的な文章を組み立てるにはどうすればいいのか」を見ていきます。

次回は1/10(火)配信予定です。