第二講 論理のマトリョーシカ人形

文章が迷子にならないためのポイントは、接続詞。接続詞を意識すれば、支離滅裂な文章は避けられます。でも、それではまだ論理的な文章だとはいえません。そこで今回は論理的な文章とはなにか、そして論理的な文章に必要な要素を考えていきましょう。
「ガイダンス あなたはなぜ文章を書くのか?」を読む
「第一講 論理的な文章のポイントは接続詞にあった!」を読む

論理的ってなんだろう

論理的な文章とはなにか。これは簡単なようで、むずかしい設問です。

ライター講座や文章セミナーなどの場にお呼ばれすると、受講者の多くは志望動機の欄に「論理的な文章を書けるようになりたい」と書いています。あるいは書店に足を運んでも、論理的思考だとか、論理的な話し方だとか、さまざまな方面で「論理的なわたし」になることを指南する本が並んでいます。
では、そもそも論理的とはどんな状態のことを指すのでしょう? どんな条件が揃ったとき、それが論理的だと言えるのでしょう?
ぼくの結論を述べましょう。

むずかしい議論は横において、シンプルに字面を見ればいい。
論理的であるとは、つまり論が理にかなっていることを指すのです。

文章をつかってぼくたちは、かならずなにかしらの「論」を展開しています。「わたしはこう思う」「あなたにこうしてほしい」といった話ですね。もしも論という言葉がしっくりこなければ、これを「主張」と言い換えてもいいでしょう。
でも、ただひたすら自分の主張を訴えるだけでは、誰も動いてくれません。相手を納得させ、相手のこころを動かすためには、その主張の正統性を示す「理由」が必要になります。
文章のなかにしっかりとした「主張=論」があり、それをたしかな「理由=理」が支えている。論が理にかなっている。まずはそんな姿をイメージしてください。

例を挙げながら、具体的にみていきましょう。

たとえば、ぼくは大相撲が好きです。最近でこそ大相撲人気も回復してきましたが、一時期の閑散とした国技館の映像を見るたび、とても悲しくなっていました。どうにか大相撲の人気回復はできないものかと考えたぼくが、自分のブログに次のようなアイデアを書いたとします。

大相撲人気を復活させるために、日本相撲協会は思いきってナイター制を導入するべきだ。

これはまさしく主張ですね。言ってることはわかります。大相撲が好きで、なんとか人気を復活させたいのでしょう。でも、読者としてただちに同意することはできません。なぜなら、肝心の「なぜナイター制なのか?」という理由が、いっさい語られていないからです。そこで理由を付け加えると、次のような文章になります。

大相撲人気を復活させるために、日本相撲協会は思いきってナイター制を導入するべきだ。なぜなら、平日の昼間に取組をおこなっても、会場に足を運べるファンはかぎられるからである。

なるほど。こうやって理由が入ると、それなりに説得力がでてきますね。最初の文章よりはずっといいです。
でも、まだなにか足りないような気がしませんか? ナイター制という主張があって、それを支える理由がある。たしかに「論」と「理」が組み合わさっている(ように見える)。
ところが、ここで展開されている主張や理由は、まだまだ書き手(ぼく)の主観でしかないのです。たとえば、理由として挙げた「平日の昼間に取組をおこなっても、会場に足を運べるファンはかぎられる」という話にしても、ツッコミどころはたくさんあります。実際、大相撲人気全盛の時代には、平日の昼間からずっと満員御礼だったわけですし。
そこで今度は、自分の示した理由について、客観的な「事実」を付け加えなければなりません。次のような文章になります。

大相撲人気を復活させるために、日本相撲協会は思いきってナイター制を導入するべきだ(主張)。なぜなら、平日の昼間に取組をおこなっても、会場に足を運べるファンはかぎられる(理由)。現に、プロ野球でも平日開催のゲームではナイター制をとっているではないか(事実)。

どうでしょうか。文章そのものにはまだまだ硬いところがあるものの、かなり説得力のある話になったはずです。このように、「主張」と「理由」と「事実」がガッチリ手を結んだとき、その文章はほんものの説得力を持ちます。

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論理的文章のマトリョーシカ

自らの「主張」を「理由」によって支える。
のみならず、その「理由」を客観的な「事実」によって補強する。
この入れ子構造をビジュアル的に理解していただくために、ぼくはいつもマトリョーシカ人形を例に出しています。マトリョーシカ人形とは、人形のなかにひと回り小さな人形が入り、その小さな人形のなかにまたひと回り小さな人形が入り、と入れ子構造になったロシアの民芸品です。

さて、論理的な文章のマトリョーシカは、以下の3層構造になっています。

(1)大マトリョーシカ 主張……その文章を通じて訴えたい主張
(2)中マトリョーシカ 理由……主張を訴える理由
(3)小マトリョーシカ 事実……理由を補強する客観的事実

いちばん大きな「主張」の人形を開けると、なかにはちゃんと「理由」が入っている。そして「理由」の人形を開けると、そこには小さな「事実」が入っている。
つまり、中身のスカスカな主張ではなく、フタを開けるとしっかりとした理由があり、理由のフタを開けるとそれを支える事実がある。この3層構造が守られているのが、論理的文章なのです。
もっとも、文中では「主張→理由→事実」の順番を入れ替えてもかまいません。先の大相撲の文章を例に見てみましょう。

プロ野球やサッカーのJリーグに比べ、若い世代の大相撲人気が急落している(事実)。そこで大相撲の人気回復策として、野球やサッカーのようなナイター制導入を提案したい(主張)。なぜなら、平日の昼間に取組をおこなっても、仕事や学校のある人たちは会場に足を運べないからだ(理由)。

まずは客観的な事実から入って、そこに自らの主張をぶつけ、理由を述べる。おそらくこの順番で書くのがいちばん自然な流れでしょう。

このとき気をつけたいのは、肝心かなめの「主張」を入れ忘れてしまうことです。「主張のない文章なんてあるの?」と思われるかもしれませんが、山ほどあります。以下のような文章です。

このところ、若い世代の大相撲人気が急落している。平日の昼間に取組をおこなっても、仕事や学校のある人たちは会場に足を運べないのだから当然だ。

ここには客観的な事実と、それに対する理由(分析?)しか書かれていません。自分の意見を書かず、ただ分析してるだけですね。作者はそれで満足しているのかもしれませんが、読者はぜったいに満足してくれないと思ってください。文章を書くときには、なんらかの意見や主張が必要なのです。

なぜか?
文章を読むとき、読者はかならず「この人はなにが言いたいのだろう?」と考えながら読んでいます。つまり、文章のなかから作者の主張を掴み出そうと、手探りしています。もしも主張が抜け落ちていたら、読者は「けっきょくなにが言いたかったんだ?」と困惑するだけでしょう。
主張なき文章とは、いちばん大事な「言いたいこと」がない文章なのです。

ガイダンスで、ぼくは「文章の目的は、読者を動かすこと」という話をしました。これは何度くり返しても足りないくらい、大切な話です。
文章を書く目的は「伝えること」ではありません。
伝えるだけなら、箇条書きでも間に合います。そこをあえて文章にしているのは、もう一歩進んだところに目的があるはずです。
思いを伝えた上で、読者を動かすこと。それが文章を書く目的であり、だからこそ論理の力を使うのです。

ここまでのポイントをまとめておきましょう。

・論理的とは「論が理にかなっていること」である
・論理的文章は「主張、理由、事実」が連動している
・この構造はマトリョーシカ人形をイメージするとよい

本講義では、初回からここまで、ずっと論理の重要性についてお話ししてきました。そこで次からは、より具体的な「読ませる文章」の書き方を考えていきたいと思います。次回は「おもしろい文章を書きたければ、まずは映画を観なさい!」というお話です。

次回は1/16(月)配信予定です。