自分の好きなことでお金を稼げるようになるまで〜下田美咲さんインタビュー【前編】

  • お金を語るのはカッコいい・ 好きなことを仕事にするためのヒント / 下田美咲

2013年、「コールの女王」として話題になり、パフォーマー、モデル、作家としてさまざまなジャンルで活躍する下田美咲さん。タレントでありながら事務所に属さず、全マネジメントを自分で行ってきた彼女ですが、満足のいく稼ぎを得られるようになるまでには、たくさんの試行錯誤があったのだそう。「自分の好きなことでお金を稼ぐようになるまで」を語ってもらいました。

素人が書いたレシピ集が半年で数千万円の売上に

──好きなことでお金を稼いでいる下田美咲さんですが、主にどんなことを仕事にしているのでしょうか?

いまは作家活動ですね。書籍の出版と、「note」と「cakes」というwebメディアで連載をしています。とくにnoteでは「管理食レシピ集」「美肌の非常識」「ダイエット法」などを書いて、半年で数千万円の売上がありました。

──数千万円! それはすごいですね。

当初はこんなに儲かるとは思っていなかったので自分でもビックリしています。とくに「管理食レシピ集」は、まさか素人が料理で稼げるなんて思ってもいませんでした。

——「管理食レシピ集」は、下田さんが考案した、頭が冴えて体調もよくなるレシピ集ですね。どういうきっかけで書き始めたのでしょうか?

私の仕事のひとつに、「下田美咲・カウンセリングルーム」という一般読者からの悩み相談をうける仕事があって、カウンセリングルームにダイエット相談に来る女の子が多いんです。それで彼女たちに、どういうものを食べたらいいかをアドバイスしていたのですが、毎回レシピを口頭で説明するのが大変で、一度聞いただけだと分かりづらいだろうなぁと思っていて、「ひとまとめになっているレシピ集のようなものを作ったら便利かもしれない」と思ったのがきっかけです。
そこまで大きな需要はないだろうから、1本1万円で売って、4人くらいが買ってくれればいいかなと思っていました。でも、いざ売ってみたら、口コミやSNSで広がって何百人が買ってくれて、売上額の桁が予想より何個も違いましたね。

——27歳で数千万円稼いでいるのはすごいですね。

うーん、最終的に「兆」は持っておきたいので、20代で「億」は欲しいです。

——兆!?

はい。何かトラブルが起きたとき痛くも痒くもない財力ってどれくらいだろうって考えると、1億円とか2億円じゃ心もとなくて、最低でも1兆円ないとダメだと思うんです。

例えば、自分の親がよそで子供作ったりして、慰謝料やらなんやらで1千万円飛んでしまったときに、1億円しか持ってなかったら1千万円なくなるのって結構なダメージですよね。でも1兆円持っていれば、1千万円くらい別にいいやってなりそうじゃないですか。

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一流企業に勤めても、年収数千万円が限界

——いまの時代、文筆業で数千万円稼げるのはすごいことですが、書くことは子供のころから好きだったのでしょうか?

はい。14歳のときに本を出したいって思っていました。そのときは哲学書を書きたかったんです。

——14歳でですか! 14歳って中学2年生ですよね。何かきっかけがあったのでしょうか?

13歳のときに『ピチレモン』というティーン向けファッション誌でモデルの仕事を始めました。撮影現場に行って気づいたのは、表紙を飾るメインモデルになる子たちは、綺麗とかかわいいとか頭がいいとか以上に、処世術に長けているということでした。編集長への取り入り方がうまくて、編集部の人たちに気に入られている子が売れていたんですよね。そこで出世に必要なのは学校の勉強じゃなくて、世渡り上手であることだっていうのを目の当たりにしました。

——世の中的には、一流大学に入って、一流企業で働くというのが出世のセオリーですが……。

一流企業に入っても、年収数千万円が限界なんじゃないかなと思うんです。一流企業の社員になっても、ほとんどの人は億とか兆なんて稼げない。年収数千万円しかないんだったら、何かあったときにすぐ飛んじゃうし、そのストレスに耐えられない。だから私は一獲千金しか考えていなかったですね。

——1兆円稼ぐためには、普通のレールではダメだと思ったわけですね。

そうです。学校の勉強をがんばったところで、そこそこの額しか稼げないと思ったから、だったら一旗揚げるために必要な勉強をしたいと思ったんです。そしたら、もう授業にぜんぜん集中できなくなっちゃって、中1のときに5教科を全部放り投げました。勉強をやめて、宿題もやらなくなった。テストも受けなかったし、通知表も見なかった。

——それは思いきりましたね。学校に行くのもやめてしまったんですか?

はい。図書館に通い詰めて、心理学や人生論が書かれた本とか、私が思う出世に役立ちそうな本を読み漁りました。

それで、たくさんの本を読んでいるうちに、どの本も書き方が下手くそだなって思ってきたんです。内容は悪くないんだけど、どれも似たり寄ったりの文章で面白くないし、わかりづらい。私ならもっといいのを書ける!って思ったんですよね。書くべきことはわかってるから、この内容をもっとわかりやすく書けばいいんでしょ、みたいな感じで。それに14歳で哲学書を出したら、絶対に話題になるはず、と思って。

——なるほど、だから14歳で本を出したいと思ったんですね。

でも、そのとき所属していたモデル事務所に「14歳で本を出したいです」って言ったら、「あなたは容姿で勝負するモデルなんだから、本を出すなんてあり得ないでしょ」という空気になったので、この事務所での仕事の延長線上では、本は出せないなって思いました。事務所を無視して個人で勝手に営業に行くわけにもいかなかったし。ただ、まず顔が売れてからのほうが本は出しやすいだろうとは思ったので、18歳くらいまでに出せればいいかなと思い直しました。

高校卒業の2ヵ月前に、いきなり進路がなくなった

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——中学を卒業したあと、高校には行ったのですか?

はい。学生という肩書があったほうがいいと思ったので、高校に行きました。学生のうちに何者かになりたかったから、高校を卒業するまでがリミットだと思って焦っていましたね。

高校では作詞作曲の勉強をしていて、音楽に打ち込んでいました。レコード会社にも入っていて、高校卒業後のデビューが決まっていたんですよ。でも、卒業の2ヵ月前に、社内で大幅な人事異動があったんです。私を担当してたのは社長だったのですが、その社長が退任してしまい、担当不在状態になってしまって。そこでデビューが消えて、いきなり進路がなくなってしまいました。

——それは大変でしたね。そのあとどうしたんですか?

すぐに次のいいレコード会社が見つかるとも思えなかったから、いったん、本を出す夢を叶えようと思って、出版社めぐりをしました。18歳のときです。めちゃくちゃ営業に行きました。そしたら、ウェブマガジンの編集長が「面白い!」って反応してくれたんですけど、紆余曲折あって出版までは至らなくて。

そのあと、20歳のときにまた音楽のデビューのチャンスが舞い込んできたんです。で、またレコード会社に入って再度デビューに向かっているときに、『クレヨンしんちゃん』の作者さんが死んじゃったんですよね。

——えっ、『クレヨンしんちゃん』が何か関係あるんですか……?

当時、私が一旗揚げたら叶えたいと思っていた夢が2つあって、その1つが『クレヨンしんちゃん』の映画に「今年旬な人」として本人役で出ることだったんです。作者の臼井儀人さんに指名されて出たかったんです。もう1つの夢は、「踊る!さんま御殿!!」に出ることでした。

でも、臼井さんが死んじゃったということは、臼井さん指名で『クレヨンしんちゃん』に出演するという夢は叶わなくなっちゃったわけで。誰かが死んだら叶わなくなる夢は、先に叶えないとまずいなって気づいたんです。だから、音楽より「さんま御殿」が先じゃない?って思って。

それでデビューが決まっていた事務所に、「私、大急ぎで『さんま御殿』に出たいんです」って言ったんです。でも、事務所としては、仮に音楽で売れたとしても「さんま御殿」に出られるのは困る、と。

——ミュージシャンが「さんま御殿」に出たら、だいぶイメージが変わっちゃいますものね。

この事務所の人たちと私は方針が違うとわかって、このデビューの延長線上では私の夢は叶わないと思ったから、この事務所からのデビューは止めました。

その後、他の事務所にスカウトされることもあったのですが、「私、『さんま御殿』に出たいんです、『さんま御殿』の出演が決まってからの契約ならいいですよ」って条件を出していました。意外と協力してくれる事務所さんが多くて、そういう風につながった事務所マネージャーさんの手配で、最終的に「さんま御殿」の制作会社まで面接を受けにいったんです。

——おお、どうでしたか?

「面白い」というだけじゃ出してもらえそうにないことがわかりました。そういう基準でキャスティングをしているわけではなさそうだなって。それでどうしようって八方塞がりになってしまったんです。

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次回は1/18(水)配信予定です。