棋士から個人投資家への転身〜桐谷広人さんインタビュー【前編】

  • リアル投資家列伝・株主優待を使いこなす株式投資スタイル / 桐谷 広人

桐谷広人さんは、日本でもっとも顔の知られた個人投資家といえるかもしれない。株の資産は2億円超だが、トコトンまで株主優待を使い込むライフスタイルがテレビでも人気で、自転車を全速力でこいで株主優待が使えるお店へと疾走する姿、あるいはジェットコースターで絶叫する様子を、見覚えのある人も多いだろう。今回は、自転車にもジェットコースターにも乗らない「ガチ投資家・桐谷広人」を紹介しよう、と思ったのだが――。

6キロの道のりも大寒波も立ちこぎで乗り越える

桐谷さんが住むのは取材場所である表参道から6キロ以上離れた、東京・中野。天気予報が「今季最大の寒波が到来」と伝えるほどに冷え込んだ日でもあり、今回は公共の交通機関で来るのだろうと待っていたのだが。

「一本道を間違えてしまいましてね。お待たせしました」と現れた桐谷さんがまたがるのは、やはり自転車。荷台には街並みにそぐわない大きなダンボールも積まれている。

「株主優待でもらったり買ったりした商品をお見せしようと思いまして。さすがに先日購入した”やぐらごたつ”(掘りごたつではない、いわゆる普通のこたつ)は持ってこられませんでしたが」

穏やかな笑みを浮かべながら、早速話し始める桐谷さん。その30年を超える投資経験は、大きなアップダウンの繰り返しだった。

「株はギャンブル」の思い込み

「株を始めたのは1984年です。それまでは『株はギャンブル、絶対に手を出すものではない』と思っていました。それというのも小学生のとき、道ばたの香具師にクジで50円を巻き上げられた経験がありましたもので」

株を始めるきっかけとなったのは将棋だった。将棋のプロ棋士だった桐谷さんは、1980年代には将棋についての著作を活発に出版するなど、プロ棋士として活躍していた。そんな活動のひとつとして、証券マンたちへの将棋の手ほどきがあった。

「その縁から、住まいの近くのある証券会社に頻繁に顔を出すようになったんです。『先生、どうぞ』なんて言われてお茶菓子を出してもらい将棋の話をしているうちに、彼らに貢献したいと思うようになってきて、それで株を買うことにしたんです。最初は二十数万円ほどでした」

個人投資家としての一歩目は、相手に貢献したいという気持ちからだった。

バブル相場の大波で1億円を稼ぐも…

桐谷さんが株を始めてからほどなくして、日本は狂乱的なバブル景気に突入した。桐谷さんが株を始めた1984年の大発会(年始の取引開始日)の日経平均株価は9927円だったが、5年後の1989年末には4万円へ迫る水準へと暴騰。それを受け、桐谷さんの資産も約1億円へと増加する。

「当時はバブルの時代ですから、何を買っても儲かるんですよ。これはいいなと思ってね。本格的に取引したらすぐに何十億円も儲かるんじゃないかと、信用取引を始めたわけです。ところが、私が信用取引をやり出したときがバブル相場のピークでした。ピーク以降株価は下がる一方なのに『この下落局面は千載一遇のチャンスだ!』といいはやす人もいたので私はどんどん買った。結果、大損しましたね」

果たして、その損失額は?

「元手が1億数千万円で、バブルで1億円余り稼いで、1億円弱損をしました。ただバブル崩壊後も数千万円の利益が残っていましたから、それからは小さな金額で取引することを心がけるようになりましたね」

再び億超えを果たすも…

ところが、勝負の世界で生きてきた棋士の性なのか、少し利益が出ると大きな勝負に出てしまう。結果、コツコツ稼いでは大きく損をすることの繰り返しだった。

「『これはチャンスだ!』と思ったのは、証券取引のインターネット化です。2000年ころ取引手数料が格段に安くなって、このあとの取引は非常にうまくいき資産が3億円ぐらいまで増えました」

オンライン取引の普及やライブドアなど新興ベンチャー企業の登場で、世に株ブームが沸き起こった。桐谷さんは「財テク棋士」としてメディアでもてはやされるようになり、将棋界から引退する。

「将棋の勉強に時間を割かなくてよくなりましたから、信用取引を活用して積極的に株売買を行ったのですが……」

そんな桐谷さんを待ち受けていたのはリーマンショックだった。

「こてんぱんにやられましたね。信用取引は気球に乗って旅をしているようなものです。天気のいい日は金儲けの山をみんながエッチラオッチラ登っているのを横目に、気球はひとっ飛びに上昇できます。ところが、ひとたび嵐になると気球はみるみる高度を下げていく。墜落しないよう、気球に乗せている金銀財宝をすべてを投げ捨て、命からがら退却することになります」

無収入、否応なしに始まった「優待生活」

再び大きな資産を失った桐谷さんの生活は、いよいよ危機に陥る。

「棋士を辞めていたし年金もまだ受給できない年齢でしたから、無収入になっちゃった。『再起不能』という言葉が頭をちらつきました。本当に困ってアルバイトも考えましたが、今さら1日数千円の給料で働くのもバカバカしい。株が復活するのをじっと待ちながら、数年間はとにかく株主優待頼みの生活でした」

現在のような「優待生活」が始まったきっかけは、信用取引の失敗だったのだ。

「今はもう値上がりで儲けようとは思っていません。自分の33年の経験から、儲けたあとは必ずヤラれちゃうことがわかった。だから、株価の値上がりで儲けようとするような投資はもうやらない。信用取引もしない。優待株を買って、優待品をいただいて、それで楽しく暮らしたほうがいい――今はそういう投資スタイルです」

株式投資と聞くと、日がな一日モニターを凝視して株価の値上がりを狙うようなスタイルを想像する人も多いだろう。たしかに、それも投資スタイルのひとつではあるが、桐谷さんの方向性はまったく異なる。

「いただいた優待や配当で楽しく過ごそうと思うようになってから、すごく気がラクになりました」