徹底した「顧客起点」が、洗濯時間10分の洗濯機を生み出した【前編】

  • 上場企業の社長に聞く! 夢とお金の本質・ ツインバード工業・野水重明社長 / 野水 重明

大躍進を続ける家電メーカー、ツインバード工業。ものづくりの街・新潟県燕市に本社を置き、顧客の声を起点にしたものづくりを実践している元気な会社だ。今回は、ツインバード工業が東京・日本橋にオープンしたCAFEで、野水重明社長に好調の秘訣を聞いた。

家電の価値を「体験」してもらう

カフェのオープンが明日(12/13)なので、本社(新潟県燕市)から社員が大勢手伝いに来て、今日はもう学園祭状態。このビルは2015年に東京の拠点として設け、一部をショールームとして開放していました。当時から「CAFEをつくりたい」と思っていたのですが、当社は家電メーカーなのでノウハウがなく、実現するまでに時間がかかってしまいました。

家電の会社がなぜCAFEを開くのか、たしかに不思議ですよね。ツインバードがある新潟県燕三条地域は、世界に誇るものづくりの街として有名ですが、中でも洋食器や鍋、包丁など、“おいしいもの”をつくるための道具の生産者が多い地域なんです。当社も調理家電の割合が多くて、電子レンジ、オーブントースター、精米機といった製品が売上の3割を占めます。燕三条は、なにかしら飲食と親和性のある土地柄なんでしょう。

そこで、ショールームに製品を並べて見てもらうだけではなく、「ツインバードの調理家電を使うと、こんなに豊かで健康的な生活を送れますよ」ということを体験し、価値を感じていただける場所をつくりたいと考えました。

コンセプトは、「健康と美」。当社のヒット商品であるブランパン対応ホームベーカリーでつくった低糖質のブランパンと、新潟県産の野菜をたっぷり使ったサラダのセット。パワフルミキサーでつくったスムージーや、フルーツビネガーメーカーでつくったお酢のドリンクなど、20~40代の女性をターゲットに、おいしくて健康的なメニューを用意しています。

ここでは、私たちがものづくりにかける想いをお伝えするだけではありません。お客様と直にお話して、率直な感想をいただけることを期待しています。

ツインバードは「一緒に、つくる。お客様と。」というブランドプロミスを掲げ、ふだんからホームページ・SNSやコールセンターを通してお客様からたくさんのお声を頂戴しています。東京という日本の一大消費地のど真ん中で、この姿勢をさらに極めたい。私たちの商売がどれだけ東京の方々に通用するのか、ハードルは高いですが、とっても楽しみです。

時代変化との「ズレ」に苦しんだ日々

ツインバードは、もともとは私の祖父が興したメッキの下請工場でした。二代目の父が自社開発型の家電メーカーに舵を切り、高度成長の波に乗って、一代で会社を上場させるまでに発展させました。

ものづくりの技術が集積している燕三条という土地で、スタンド照明やDVDプレイヤーのようなニッチな小物家電をつくって安く売るという商売は、父の時代には時宜にかなっていました。当時の日本は人口に対してものが不足していて、「とにかく、ものが欲しい」というニーズがありました。父の代ではそのニーズに的確に応え、多くのお客様からご支持をいただきました。

しかし、日本の高度成長が終わって市場の成熟化、人口減少が始まり、人々のニーズは大きく変わりました。いまの時代は、ものがあふれています。昔と違って、需要を供給が上回っています。そうすると、人々の消費行動は変わります。たくさんのものの中から、より自分の個性にフィットするもの、他人とは違うものを厳選して、求めるようになる。いわゆる「ニーズの多様化」が起きているのです。

時代変化を見極めて、経営者が方向を転換するというのは、実際には大変なことです。それまでうまくいっていた会社であればあるほど、成功体験を捨てて違った生き方をするのは、難しい。優秀な経営者であった父ですら、ビジネスモデルを転換できず、2000年代に5期連続赤字を出しました。

私は大学卒業後、1989年に会社に入りましたが、メーカーの経営者になるために、銀行で経験を積み、大学院で工学博士号を取得し、再び会社に戻りました。海外で新規開拓の営業に打ち込み、帰国してみると会社は大変な状況になっていました。営業副本部長になった私は、「これはまずい」と感じ、中堅の社員たちと、「うちのどこが悪いのか」と議論を重ねる日々。業績をみれば、お客様から支持されていないことは明らかでした。私たちはこのまま、社会に必要とされない会社になってしまうのか――。とてつもない危機感を抱きました。

父が経営合理化を進め、赤字はいったん解消されましたが、私は悩み続けました。勉強し、たくさんの方にアドバイスを求めて考え抜いた末に、1つの方向性が見えてきました。

これからは、職人が頑固に「いいもの」をつくっているだけでは、売れない。プロダクトアウトのものづくりは、とっくに時代遅れになっている。私たちがやるべきは、徹底的にお客様のお声を聞き、寄り添うこと。そう、「お客様起点」のものづくりだ。

2011年、社長に就任した私は、即座にこの考えを実践していくことになります。

逃げ場がない。だから全力を尽くす

私は子どものころ、ツインバードの工場が遊び場でした。長男なので、祖父からはいつも「将来は会社を継ぎなさい」と言われ、そういう視線で父や、従業員の方々の背中を見て育ちました。地元の従業員のみなさんは長いお付き合いで、ご両親はもちろん、おじいさん、おばあさんの顔を知っている方もいます。つまり、私にとっては「ダメなら他の会社」という選択肢はありません。オーナー経営者には、逃げ場がないのです。

だからこそ、社長になるときは、腹をくくりました。どうせ逃げ場がないのなら、自分が理想とする会社を思いっきりつくろう。経営者として全力を尽くそうと、覚悟を決めました。

当初、父と私は共に代表権を持ち、1期か2期を経営する予定でした。父が代表権のある会長として経営を教えながら、徐々に息子に譲っていくという、オーナー企業の一般的な事業承継です。しかし、それでは「間に合わない」と思いました。お客様起点のものづくりへの転換は、まったなし。従来のビジネスモデルが時代に合わなくなったことは、すでに2000年代に市場から審判が下されていたのですから。

父は実質的な会社の創業者ですし、カリスマ経営者として影響力も強いので、2人に代表権があると、どうしても社員は父のほうを向いて仕事をします。ある日、私は思い切って父に、「代表権を僕1人に任せてください」と言いました。「力はないかもしれないけれど、全力でやる。だからどうか、すべての責任を任せてほしい」。そう、お願いしたのです。

父にとっては、人生をかけて育ててきた会社。ある意味、子どもよりかわいい存在です。当然、「そんなことは無理だ!」と怒り、しばらく口を聞いてもらえませんでした。ところが1週間経って、「わかった。お前に任せるよ」と言われました。それ以降は、本当に一切口を挟まない。

正直、最初はわからなくてアドバイスをもらいたいときもあったのですが、父は何も言わず、黙って見守るだけでした。いやもう、いさぎよい。カッコよすぎです。そのころから胸の奥に、「いつか父を超える経営者になりたい」という思いがわきました。

社長になった私は、ブランドプロミス「一緒に、つくる。お客様と。」を掲げました。それを社員に伝え続け、組織やものづくりのプロセスを変えて……。最近では、「10分で時短洗濯」ができる洗濯機を開発するなど、以前では考えられない商品が続々と出てるんです。いまのツインバードのものづくりについて、もっとお話ししたいですが、それはまた次回に……。