24歳で起業。「何をやるか」の前に、社長になることを決めた【前編】

  • 上場企業の社長に聞く! 夢とお金の本質・GameWith 今泉卓也社長 / 今泉 卓也

日本最大級のゲーム攻略・情報サイトを運営する「GameWith」。28歳の若きリーダー・今泉卓也社長のもと、創業わずか4年目で東証マザーズ上場を果たした、話題のスタートアップ企業だ。ダイナミックな成長を牽引する今泉社長は、どんな人物なのか。起業家になるまでの道のりを聞いた。

社長に憧れた子供時代

小さいころから、漠然と社長に憧れていました。
小学校の文集でも、将来の夢に「社長」と書いています。
理由はよく覚えてないんですが、成功の象徴だったんだと思います。

中学生になるとITベンチャーの起業家が、華々しく報道されるようになりました。社長って競争を勝ち抜いた一握りの人が50代、60代になって、やっと選ばれるイメージでした。それとぜんぜん違って、20代で自分の会社をつくって社長になるなんて、すごいなと思ってテレビを見ていました。

出世を重ねて社長になるのも憧れましたが、当時の僕は、20代の社長に大きな「夢」を感じました。プロ野球選手や宇宙飛行士に憧れるような感覚で、カッコイイと思った。

でも僕の周囲には、起業した人も、起業家を目指す人もいませんでした。ぼんやり憧れてはいたものの、「どうやったら社長になれるのか」を知らないまま、大学生になりました。

そろそろ動くべきだけど、何をすればいいのだろう。お手本がなかったので、自分なりに「会社とは何か」を考えました。会社とは、プロダクトを通して、世の中に価値を生み出す存在です。だったら、まず必要なのは、根幹となるプロダクトではないか。

事業の領域は、時代の第一線で戦えるIT業界で、と漠然と思っていました。子供のころに憧れた、IT起業家の姿が影響しているのかもしれません。まずは独学でプログラミングを勉強し、とにかくサービスを作ってみること。大学2年の僕が、起業に向けて初めて具体的に考え、行動したことです。

そうはいっても、起業に人生をかける覚悟はこの時点ではありませんでした。うまくいく保証は何もないので、保険をかける気持ちで、大学3年で就活をしました。僕たちは学生時代にリーマン・ショックが起きて、内定取り消しが問題になった世代。「新卒で就職できないと人生終わり」みたいな空気があって、周囲のみんなは必死だったし、僕も決して楽観的ではありませんでした。

Twitterから転機がやってきた

悶々とした思いを抱えて就職活動をしながら起業の道を探っていた僕に、転機が訪れます。当時、自分でWebのサービスを作っては、TwitterなどSNSにアップしていました。動画を共有しながらチャットできるサービスなど、自分が「面白い」「あったらいいな」と思うプロダクトをどんどん作って、発表していました。

それを、当時独立系ベンチャーキャピタルのインキュベイトファンドにいた木下慶彦さん(現・Skyland Ventures 代表パートナー)がみつけて、Twitterで声をかけてくれました。そして、同社が主催する、起業家と投資家の合同キャンプに誘ってくれたんです。

キャンプに参加し、生まれて初めて、同じように起業を志す人たちと出会えました。彼らが会社を作って何を実現したいのか。これからどういう行動を起こしていくのか。そういう話をリアルに聞けて、自分自身の起業のイメージも、具体的になりました。非常に刺激を受けましたね。

さらに、起業家に投資するキャピタリストとの出会いもありました。僕はそれまで、キャピタリストの存在を全然知らなくて。こういう人たちがいるのかという驚きとともに、彼らの起業家に対するアドバイスが、すごく勉強になりました。

それまでの僕は、誰も思いつかないような面白いプロダクトを作ることからビジネスが始まると思っていました。でも、そうじゃない。どういう市場に対して、どういうプロダクトを提供して、どうやって収益をあげるのか。市場の視点が僕には欠けていました。社長となる人間に絶対必要なのは、「市場を見る目」なんだーー。

2日間のキャンプで、僕は大きな“気づき”を得ることができました。

最初の会社で、大いに失敗する

ここから、物事が動き始めます。

キャンプ後、参加者の1人がゲーム開発の会社を起こすことになり、僕に声をかけてくれたのです。僕の役職は、CTO(最高技術責任者)。共同経営者として、インキュベイトファンド代表パートナーの村田祐介さんの参画が、決まっていました。

社会人経験のない僕にとって、起業を経験する、またとない機会です。ゲームは子供のころから大好きだし、何より伸びている市場で自分の力を試すことができる。まだ在学中でしたが、すぐに参画を決めました。

2012年1月にジョインして、約1年間の間に2本のタイトルをリリースしました。CTOである僕のチームはゲームの開発と運用で、常にフル稼働状態。交代できる人員がいなかったので、ほとんど休みなしで働きました。

他のメンバーも大変だったと思うのですが、最初はなんとか回っていました。新しいタイトルをリリースするとすごく反響があって、1日で100万円分売れたりするんですね。だから狙った市場は正しかったし、売上の大きさがみんなのモチベーションになった。問題は、その後。リリースしたゲームのブームが去って、売上が落ちてきてからです。

僕はずっと、目の前のことに精一杯でした。毎日山のようにタスクがあって、それをこなすことに必死でした。部下より自分がやったほうが早ければ、迷わずそうしていた。「部下を成長させるために仕事を振る」とか、「忙しい中でモチベーションをどう保つか」とか、そういうマネジメントはまったくできていませんでした。結果、ゲームが下火になって業績が悪化してきた途端に、社員の心が離れていったのです。

会社自体の方針も、壁にぶつかります。起業した2012年は、スマートフォンが普及しはじめた年でもありました。ガラケーでも遊べる「ブラウザゲーム」から、スマートフォンで遊ぶ「ネイティブゲーム」に、人々が移り始めていました。会社としては、早々にブラウザゲームからネイティブゲームに転換すべきでしたが、その意思決定ができなかった。

滑り出しは良かったものの、新しいゲームを成長させることができず、社員が次々と辞めていき、会社の状況は悪くなる一方でした。結局、僕たちは未来に投資できなかったのです。目の前のことに追われて、ただ市場に流され、ブームが去った後に何も残らなかった。

2013年4月、とうとう会社の清算が決まりました。どうにかして状況を打開できないかという悩みは、清算が決まった瞬間になくなりました。「これはこれで、終わり」。僕の中でパチンとリセットボタンが押されました。そして次の瞬間には、「次、どうしよう」と考えていました。

失敗したけど、がむしゃらに開発したものが世の中に出て反響があって、充実していたし、夢も見られた。さあ、次は、どうしよう。

最後の取締役会を終えた日。
取締役だった村田さんと、ホワイトボードと椅子だけが残るガランとしたオフィスで、話しました。数々の実績を残してきたベンチャーキャピタリストである村田さんもまた、今回は「完全に失敗だ」「悔しい」と話していました。そして、「次、どうするの?」と聞かれたとき、自然と言葉が出てきました。

「もう一回やりたい」

何をやるかは、わからない。でも僕はやっぱりもう一度チャレンジしたい。
どこかに就職するという選択肢はない。「何をやるか」の前に、僕はその日、社長になることを決めました。